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​ストーリー

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横になっている時に子供に乗られて「痛い!」と乳の右上の辺りにシコリを感じる。
最近疲れやすさもありかかりつけ医へ受診する。

その後、総合病院に紹介されて副代表(安藤梢)は

2020年8月乳がんと診断される。

検査の段階で何もないということはないだろう・・・と覚悟するも
ステージⅢcで5年生存率は50%以下という説明に夫は落胆。

当時、我が子は4才と2才。

​翌日には、家族一丸となって絶対に乗り越えると誓う。

宣告

治療開始

サブタイプはルミナルB・ホルモン受容体陽性・高増殖能診断から

1ヶ月後には右乳房全摘出及びリンパ節郭清の手術。

さらにその1ヶ月後に抗がん剤開始。

抗がん剤が終わると、放射線治療を25回。

​現在もホルモン治療にて通院を続けている。

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罹患当時、上の子は年中。下の子は未就園児だった。

手術が決まり、下の子の預け先をどうしよう・・・から始まり、

入院中は家族の食事をどうするか。

幼稚園や習いごとの送迎をどうするか?

などの対応に加え、自身のウィッグ、

胸の全摘後のパッドなどの変わりゆく容姿へ向けての準備に追われ、情報がないことに大変苦労した。

家事・育児

副作用

右乳房の全摘後、右腕に100%力が入らないため、

甘えてくる子どもを長時間抱っこできない。

抗がん剤の副作用で吐き気があり、食事が喉を通らず。
食事を楽しめないストレスに苦しむ日々が半年間続いた。

全身の脱毛に加え、浮腫や乾燥・シミの増加による

容姿の変化にも苦しむ。

放射線治療は毎日の通院で、疲労による腰痛で

一時歩行も困難な状態に。

ホルモン治療が続く現在もホットフラッシュ・もの忘れ・全身のむくみ・体重増加などの副作用が続く。。。

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がん患者はもちろん、家族も"第二のがん患者"と呼ばれるほど。大変な思いをする。

身体的にも精神的にもボロボロになった夫・雅人が苦しんだのは「サポートがんばれ!!」というプレッシャーだったと語る。。。

幼い子どもたちは、突然友人宅へ預けられ我慢することもたくさんあった。

そんな中でも、妻・梢の手術当日には、横断幕を夫・雅人と子供達が手作りし、窓から見えるよう応援にかけつけてくれた。

家族の支えがあったからこそ、乗り越えれた今がある。

始動

始動

私たちが活動を始めたきっかけ。

罹患当時、コロナ第二​波により緊急事態宣言が発令し、どのコミュニティも閉鎖状態。面会も制限がかかり孤独な闘いを経験した。

必要な方に必要な場が届き、民間で頼れる場所も必要ではないか?

妻・梢もまだまだ再発の不安に怯える日々を送っている。

不安や悩みを共有する場がもっとあたり前にあれば、

​がんになっても大丈夫。

という世の中になっていくのでは。。。そんな想いで始まった。

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サポートチーム

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